ガールスカウトのはじまり

1907年、イギリスのロバート ベーデン・ポウエル卿が自ら隊長となって、イギリスのブラウンシー島で20人の少年たちとともに実験キャンプを行い、この結果と自らの体験を基に「スカウティング・フォア・ボーイズ」という本を発行しました。

ベーデン・ポウエル卿は軍人時代に優秀なスカウト(斥候)であり、自らが体験したキャンプ生活や自然観察、自然体験を少年たちの旺盛な冒険心や好奇心と結びつけ、そこから開発したゲームや活動を通じて少年たちに自立心や協調性、リーダーシップを身につけさせ、社会に役立つ人材の育成することを目指しました。そして、この本が出版されるとまたたく間に少年たちに読まれ、読んだ少年たちはそれを実行しはじめました。少年たちは周囲の大人たちに「僕たちはボーイスカウトになりたいから、隊長になってください」と申し出ました。1908年に子どもたちの幸せな人生をいつも一番先に考えていた、ロバート ベーデン−ポウエルによって、ボーイスカウト運動が、英国で正式にはじまりました。(創始者であるロバート ベーデン-ポウエルのことを略してB-Pとよびます。)1909年に、B-Pがボーイスカウトの最初の大きな集まりを開いたときに、そこに女の子たちも来ていて、「ガールスカウト」として活動したいと申し出、少女たちは「私たちはガールスカウトです」と胸をはって参加していました。           


B-P and his family at their home, Pax Hill, near Bentley in Hampshire

それを見たロバート ベーデン-ポウエルは、男の子と女の子にはそれぞれに合った活動のしかたがあって、女の子のための活動が必要と考えました。そのため、妹のアグネスが、ガールスカウト活動を引き受けました。その後、B-Pと結婚した妻・オレブ ベーデンポウエル(レディB-P)が引き継いで、ともにスカウト運動に生涯をささげました。こうして、ボーイスカウトとガールスカウト(ガールガイド)は、活動について同じ考え方を持っているけれど、団体としては別々に活動していくことになったのです。その後、ガールスカウト日本連盟ができて、ガールスカウト活動は、急速に日本中に広がっていきました。今では、約7万5千人もの人たちが、日本で活動しています。そして「やくそくとおきて」のもとに、肌の色や言葉や国籍や宗教が違っても、どの少女も『健康』で『幸せ』で『人に役立つ』大人になれるように、世界のいろいろな国でそれぞれの活動を続けています。
ガールスカウト運動は、少女と若い女性のための世界最大の社会教育団体で、現在世界144ヶ国約1,000万人の会員が活動しています

スカウティングは、

この活動に自発的に参加をする青少年のためのものです。人種、信仰などの区別なく、すべてに開放されており、キャンプや奉仕活動を通じて学区や学年を超えた、地域 社会における教育活動です。そしてその教育には青少年たちが自ら成長できるよう段階的なプログラムが用意されています。
スカウティングは、学校や家庭では達成できないものを補完していくものです。青少年が自分の知識および探究心、発見や理解を広めたいという願望を満たしていきます。

 

日本での始まり

日本にガールガイド運動を伝えたのは、1919年、東京の香蘭女学校に教師として赴任したイギリスの宣教師、ミュリエル・グリーンストリートMuriel Green streetです。イギリス連盟の一支部として香蘭女学校に日本女子補導団東京第1組を設立し、イギリスのガールガイドと同じ「やくそく」と「おきて」を唱え、同連盟のハンドブックと、会員ピンを使用していました。
日本のガイド運動は1923年に独立しました。最初は女学校にガイド部門がおかれましたが、その後小学校にも広がり、少女団(ブラウニー団)も設立されました。
日本女子補導団は日本国内だけでなく、当時日本の統治下にあった中国の東北部にも拡がり、大連、長春にも団ができました。ガールガイド・ガールスカウト世界連盟の創設が決まったとき日本は26ヶ国の創立会員の一国となりました。(日本女子補導団は1928年から1939年まで世界連盟に加盟しました。)
しかしながら、1942年の戦時中に日本女子補導団は解散しました。


ボーイスカウトは戦後(1945年)の荒廃する世の中に国際的なスカウト運動が必要であると判断し、連合軍司令部(GHQ)と接触し、ボーイスカウトの再開をはかりました。GHQからガールスカウト運動の再開もすすめられ、1947年GHQ民間情報局(CIE)少年教育顧問ミスター・ダーギン(Mr. Russel L. Durgin)の援助によってガールスカウト中央準備委員会が発足し、再建がすすめられていきました。

1948年、世界連盟からの資金援助の手がさしのべられ、アメリカ連盟からミス・マルグリート テュウイ( Miss. Margueite Twohy)が世界連盟のトレイナーとして来日しました。日本の青少年関係の有志を対象として開かれた文部省主催の講習会に講師として出席し、その後全国を廻って、広く社会の理解と協力が大切なことを力説し、この方面の開拓にも力を入れ、滞日6ヶ月間に、組織の基礎づくり、広報の面などにも大きな足跡を残されました。

1949年4月4日、ミス テュウイの滞日中に、第1回全国総会が東京の丸ノ内で開催され、長距離列車に乗るにも許可がいる時代に全国18県から125名が集まり、ここにガールスカウト日本連盟が成立し、この時すでに2,663名の会員が登録されていました。

このように戦後の運動は GHQの下で再興したため、名称はガールスカウトとなり、プログラム(計画・予定表)内容も当初アメリカの影響が大きかったのです。その後日本の会員の手によって日本の少女に適したものに次第に変わっていきました。そして、1952年8月ノルウェーで開催された第14回世界会議で日本は準加盟を承認されました。1960年5月ギリシャでの第17回世界会議で満場一致でついに正加盟が可決され、正式に世界の仲間入りを果たしたのです。


Olave Baden-Powell  Robert Baden-Powell
 

★★★ 創始者ロバートベーデン・ポウエルの願い ★★★

スカウトのみなさん

あなたがたが、もし「ピーターパン」の劇を見たことがあるなら 海賊の頭(かしら)が、いつも 遺言をロにしていたことを思い出すでしょう。それは、死期が来た時、手箱から遺言状を取り出す時間がないことを彼がおそれたからです。 私の場合もそれと同じで、今すぐ死ぬわけではありませんが死ぬ日の来ることを思って、 みなさんにさよならのひとことをおくりたいと思います。
これは、みなさんが私から聞く最後の言葉になるものだと思って、よくかみしめて読んでください。
私は非常に幸せな生涯を送ってきました。ですからあなたがた一人ひとりもまた同じような幸せな 人生を歩んでもらいたいと願っています。
神様は、一生幸福で楽しく暮らせるよう、私たちをこの世界に送ってくださったのだと私は信じています。幸せというのは、お金持ちになったり、単に仕事上で成功したり、思い通りのわがままができることではありません。幸せになる第一歩は、子どもの間に健康で強い体にしておくことです。そうすれば、あなたがたが大人になった時お役に立つことができ、人生を楽しむことができるのです。
自然研究というものは、この世界が、美しいものや素晴らしいもので満ち満ちていることを教えてくれるでしょう。それは神様が、そういう世界をあなたがたが喜んで受け入れるように贈ってくださったことを示しています。あなたがたの得たもので満足し、それを最もよく生かすようにしなさい。物事の暗い面を見ないで、明るい面を見なさい。
けれども、幸せを得る本当の道は、他の人々に幸せを与えることによって得られるものなのです。あなたがたの見い出した世界よりも、少しでもこの世界を良いものにして後に残すならば、あなたがたが死ぬ順番が回ってきた時、自分は自分の最善を尽くし、時を無駄にしなかったという幸せを感じながら満足して死ぬことができます。このようにして常に備えて、幸せに生き、幸せに死ぬこと−いつもスカウトの「やくそく」を忘れず、しっかりと守り−あなたがたが大人になった後でも−そのように努めればあなたがたを神さまは守ってくださるのです。

あなたがたの友
べーデンポウエル

Paddle Your Own Canoe
"Paddle Your Own Canoe " From Baden-Powell, Rovering to Success, 1930
 
 
オレブ・ベーデン=ポウエル(Olave St Clair Baden-Powell, Baroness Baden-Powell)

(1889年2月22日 - 1977年6月19日) 愛称はレディB-P。オレブ・サンクレア・ソームズとしてイギリスのチェスターフィールドで生まれた。 オレブは醸造家で芸術家のハロルド・ソームズの下の娘として生まれた。ハロルドは父方の地主から独立しており、母方はノッティンガムのニューアーク市長のジョセフ・ギルストラップ・ゲルソープだった。彼女は父や母のキャサリン(旧姓ヒル)、多くの家庭教師などから教育を受けた。オレブはテニス、水泳、フットボール、スケート、カヌーを含む野外スポーツに夢中になった。またバイオリンも弾いた。 1912年1月、オレブは、スカウト運動の一環として世界旅行中で、ニューヨークへ向かう途中のロバート・ベーデン=ポウエル(第二次ボーア戦争の英雄・ボーイスカウトの創始者)に出会った。オレブはその時23歳、B-Pは55歳であった。2人は1912年10月30日に結婚した。 後に結婚祝いとして、イギリスのボーイスカウトとガールガイドはそれぞれ1ペニーを送り、ベーデン=ポウエル夫妻は結婚プレゼントとして車を買った。夫妻は一男二女の3人の子どもを授かった。

 
Robert Baden-Powell & Olave Baden-Powell,