群馬県連盟のあゆみ
日本ガールスカウト
第二次世界大戦で一度活動を休止していたガールスカウト再建運動が、1947年三島純女史を中心に元日本女子補導団関係者によって始まりました。群馬県では、野口綾子女史により、この運動の第一歩が踏み出されました。野口姉は「スカウト運動の展開以外に青少年善導の道は他にない」と市町村、PTA、婦人会、また青年層によびかけ、その共鳴者、協力者を求めて歩きました。
群馬県での活動が始まる
1948年秋には、日本最初のガールスカウト指導者養成講習会に5名の群馬県代表者を送り、公認リーダー第1号が誕生しました。
1949年5月には、前橋カトリック教会司祭ロック神父、軍政部の飯野治女史の積極的援助を得、県の社会教育課の協力のもと県内の青少年教育に関心をもつ上毛撚糸 伊藤正直社長、群馬大学 西成甫学長をはじめ30余名の方々によって群馬県ガールスカウト推進委員会が結成されました。6月末には、県主催第1回指導者養成講習会が一の宮町(現富岡市)公民館において開催され、44名の公認リーダーが誕生し、群馬県のガールスカウト運動がスタートを切りました。
発団式の様子
第4,5団発団式
群馬県支部の誕生
1951年末には県内57カ団を数え、登録数1,200数十名に達し、12月20日、日本連盟の許可を得て待望の群馬県支部結成となりました。翌1952年3月9日前橋市貿易会館において発会式を行い、初代支部長に野中さかえ姉、副支部長高木直枝・石坂きよ両姉が就任され、ここに群馬県支部が誕生しました。
活動を広げる群馬県支部
1952年には日本で初めてのブラウニー団が桐生市に誕生しました。また1958年には上級団(現在のレンジャー部門)制度ができ、群馬県にも前橋市に上級第1団が誕生しました。当時はガールスカウト、ブラウニー、上級団はそれぞれ別の団組織として活動していました。
群馬県Br第2団 発団式
群馬県上級第1団 発団式
1971年には、開拓委員制度も実施され、新団づくり、会員倍増、団育成の応援などに成果をあげました。
1973年には、日本連盟の制度改正によりブラウニー、ジュニア、シニア、レンジャー、アダルトを1カ団とするファミリー団の形ができました。これは、少女たちが、より幅広い年齢層の人々との交流によって人間としての成長を願ったことによります。
新しいファミリー団制度のもと、支部は、スカウト教育の一層の充実をめざし、日本連盟事業に加え、県独自の創造性豊かなプログラムを計画実施しています。(参考資料 50年記念誌)
ガールスカウトの指針を、埴田ひさ顧問、清水俊衣顧問からいただいて、盛大なセレモニーが行われました。
日本連盟は、2000年8月1日、紀宮清子元内親王(現、黒田清子様)をお迎えして、新しい教育施設 戸隠ガールスカウトセンターをオープンしました。
2005年に結成55周年キャンプ、2010年に結成60周年キャンプを戸隠で行いました。
2012年 4月2日一般社団法人ガールスカウト群馬県連盟となる。
日本連盟が国の法改正により、2012年4月1日をもって公益社団法人ガールスカウト日本連盟になるに伴い、群馬県支部も2012年4月2日一般社団法人ガールスカウト群馬県連盟となる。
群馬県連盟結成65周年
2014年6月の富岡製糸場世界遺産登録により、2015年、群馬県連盟結成65周年を記念して、全部門で、世界遺産ウオークラリーを実施しました。さらに、芸術鑑賞バスツアー(劇団四季ライオンキング)等の記念事業を展開しました。